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株式会社メタリスト

TOMOHIKO MURAKAWA

村川 友彦

株式会社メタリスト代表取締役
栃木県佐野市
大手メーカー勤務時代に培った溶接技術と知識を駆使し、様々な架台やタンク・配管製作など、溶接を主体とした金属製品および構造物の制作・販売を手掛ける。
確かな経験と実績をもとにお客様の抱える様々な問題を解決。

日立製作所との出会いが溶接人生の扉を開いた

青森県出身の村川氏は、中学生の時はお笑いなどの芸能人かロックバンドのギタリストになりたいと思っていたという。当時はギターを抱いて寝るくらいギターに夢中だったという。
初対面ではその語り口から物静かな印象を受けた村川氏だったが、当時の話をする村川氏からはお笑い芸人に通じるユニークな一面やギタリストに通じるロックな熱い一面が感じられた。
しかし、そんな夢も家族にも大反対され諦めることに・・・。
そして自身の進路を見出せずにいた頃、学校に掲示されていた高校のパンフレットを何気なく見ていた時にその中にあった日立製作所の学校に目が留まった。
その他にもトヨタや日野自動車などの名だたる企業の学校のパンフレットがあったが、「一番近い」という理由で日立製作所の学校へ進むことを決めたという村川氏。
これが「溶接」と出会う運命の始まりとなる。
その後、進んだ日立製作所での経験や技能が後の村川氏にとって大きな影響を与える基礎・骨格となる。原子力発電所の炉内構造物の製造などを行いながら、第34回の技能五輪全国大会で構造物鉄工職種の部で第2位(銀メダル)を獲得。
これが何よりも好きで大切なものが「音楽」から「溶接」に変わった瞬間ではないかと感じた。

組織の中だから得られたものと組織の中では得られないと分かったもの

その後、一度、畑違いの義父の勤務するプラスチック関連の企業に誘われて転職。そこでCAD設計を覚え、半年で人に教えられる域まで達するほどにハマりのめり込んだと言う。
それでもやはり今までやってきた鉄や金属、溶接とは無縁の仕事に限界を感じ、自分がこれまで学んでいないこと、分かっていないことを分かったふりして顧客を欺き、商売していることが苦しくなったという。
義父に退職を申し出て、溶接の道へ原点回帰するための再チャレンジを選択し荏原製作所に入社。
日立時代に続き、再び大手企業ならではの専門知識を身に付けられる環境の中に飛び込み、そのことを最大限に活かして村川氏自身がどんどん強くて長い綺麗なビードとなっていった。
ただ、大手企業ならではの組織や人間関係については大変な部分もあったようだが、そこはあえて触れることは無かった。そこには自身を育ててくれた組織や企業への感謝があるのではないかと感じた。
そして本当の意味の恩返しも兼ねてこれまでに得た知識と経験を最大限に活かした独立起業に繋がって行ったのではないかと思った。

まだまだ奥の深い溶接の道での独立

勤めていた頃と起業した現在の違いを聞くと「独立してからの方が楽」と間髪入れず自然に答える村川氏。大手で培って来た経験や技能を活かして自由に仕事が出来ているし、自分のお金で研究出来るから、組織では許されなかった失敗も、失敗しその研究が無駄だったと分かったことも成果だと捉えられるようになったという。
自己責任なら良い意味の「間違えてもいいや」で覚悟した上での仕事が出来ると。
反面、勝負しているはずの技術ではなく、メンタルの面で幾度となくやられ会社員に戻ろうと思ったこともあるという村川氏。
ただ、その都度通り過ぎてみれば、やっぱり戻らなくて良かったと思える、その繰り返しの波があるのだとも正直に話してくれた。
村川氏の口から自然に出た「楽」という言葉から、責任と覚悟を背負ったからこそ得られた「楽」という言葉の意味の深さ、重さを強く感じた。
そして、リスクが高く難しい道を選択したことを「楽」と言える、その道を選択出来る人の魅力と強さを感じた。
ただ、最後には「色々なお客様から相談を受けるけれど、これまでの大手での経験と実績があるから安心してもらえることが強み」と話す言葉から、現在の自分の力だけでなく、その力をつけてくれたバックボーンあってこそという村川氏らしい姿勢が垣間見えた。

ギタリストならぬメタリストとしての仕事

独立してからの4年間毎日同じものを作っていても作り方は違い日々必ず効率アップしているといい、仕事におけるスピードは雑になる一歩手前ぐらいまで追い込んでから、徐々に落として精度を上げて行く。先ずスピードから入ってそこからクオリティに移行するのだととても分かり易く説明してくれた。
そして「今は急いでやっても雑にはならくなった」と何気なく話す姿から、奥深い溶接を極めたその先にある景色や感覚を教えてもらった気がした。
そんな村川氏に溶接という仕事の魅力や遣り甲斐を尋ねると「気持ちいい・気持ち悪いしかないかな。音もビードも毎日気持ち良くしたいからやってる。気持ち良くなることを追求している」という言葉が返ってきた。
その時、夢中でギターを弾いていた若かりし頃の村川氏の想いや姿と重なり、過去と現在が見事にビートならぬビードで繋がった気がした。
最後に「常に材料のコンディションに関わらず同じ出来にするのが気持ちいいし、条件が悪ければ悪いほどスイッチが入るし燃える。自分が気持ち良くてお客さんも気持ち良く持って帰れることが一番の醍醐味」と語った村川氏。
その姿はライブでファンに向けてギターを弾く時の気持ちやパフォーマンスについてを語るギタリストそのものに見えた。

次世代の溶接士達へ

若者が溶接の世界、道に入ってきていることはとても良いことだと思う。
その理由は既にその時点で熱いものも我慢し、危険なことにも臆せず溶接をしている訳だから頼もしいし、それを通じて得られた忍耐強さは自身の財産になるからだと。
後はモノづくりの世界は自分だけでなくみんなで物を作っているんだという感覚を持つことを大切にして欲しい、と村川氏は言う。
前後の鋼材屋さん、ガス屋さん、加工屋さんに感謝しつつ、その関りや繋がりの中で自身の溶接が後でどのような影響を及ぼすのかを想像して溶接出来るようになると仕事のレベルも変わって来る気がする。
溶接だけではなくサッカーなども同じだが自分のした仕事やプレーはまた自分に返って来る。自分が回したパスを最後のゴールまで見届けられるのか?が問われているのだと思うと。

一般社会で溶接が広まっていることへの嬉しさと怖さ

近頃、DIYブームで溶接も身近になりその分だけしっかりと学んでいない人、理解していない人が増えていることに少なからず怖さを感じるという村川氏。
溶接は感電もあるし火傷もある。そういう危険な部分を先に教える前に楽しいことだけが広まっていくことで事故などが増えないかが心配という。
溶接が手軽に始められるようになったからこそ、正しく理解して楽しくDIYを楽しんでほしいと。
これは溶接や鉄工に限らず木工も同じだが、こういうことを専門家や職人が言うと敷居が高くなるので何か良い方法は無いものかと真剣に思いを巡らせている村川氏。
その姿からも、村川氏の溶接や仕事に対する誠実さを強く感じ、その誠実さが村川氏の全ての根幹にあるのだと感じた。

最後に鉄やステンレスなどの素材について尋ねると「ステンレスが一番素直で自分が思った通りの溶接が出来るので好き」という答えが返って来た。
そして、村川氏にとって溶接とは?という問いに対し「息を吸って、吐くのと同じかな。気が付けば溶接をやっている」と飾らぬありのままの言葉で答えてくれた。
そんな存在となる溶接に出会い、熱いロック魂でビードを引き続けている村川氏は正に「メタリスト」であると感じた。

座右の銘

「天知る地知る我知る子(なんじ)知る」

中国の故事

COMPANY INFO

会社名
株式会社 メタリスト
住所
栃木県佐野市大橋町3188-3
電話番号
0283-85-9548
株式会社 メタリスト
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