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ヒッキー溶接
ヒッキー溶接 大阪府富田林市 ステンレスを中心に鉄・アルミ・チタン等のあらゆる金属の溶接と板金加工を手掛けている会社。その中でも特にステンレスのTIG溶接加工や板金加工を得意としている。 また、自動車のステンレス製オリジナルマフラー(ワンオフマフラー)の製作も定評があり、豊富な経験と確かな技術でお客様の要望を形にしていきます。
林氏が現在、溶接を生業にしているのは祖父の影響だという。 中学生の夏休みに板金業を営んでいた祖父から声を掛けられ、祖父の会社でバイトを始めたのが溶接との出会いだった。 一日中、溶接したり、板を切ったり、穴をあけたりしていたといい、中学生のその頃から林氏にとって溶接は、身近にある当たり前のような存在だったようだ。 その後、工業高校の材料技術科に進学し金属の組織や強度などの知識を学んだ。 高校卒業後はそのまま祖父の会社に?と思ったが、祖父は「最初から身内のとこにくるな」という考え方の方だったとのことで卒業後、まずは地元の厨房機器の製造企業に就職した。 すでに溶接や金属が身近にあった林氏は就職先でも仕事の習得は早く、2年勤めて大方をマスター。その後晴れて祖父の会社に正式に入社した。 水回り系のステンレス製品やパチンコ屋さんの内装の装飾金物等を制作する祖父の会社で約10年間経験を積み、その中で“いずれ自分も人に喜んでもらえる仕事が出来る会社を持ちたい”という思いを抱くようになっていった。 祖父の後を継ぐという選択肢もあったが様々なタイミングもあり、これを機に今までと違うことにもチャレンジしていきたいと思ったという。 『退職金は要らないから溶接機だけ欲しい』と祖父に頼んで溶接機を譲り受け、それを持ってもともと車が好きだった林氏はまずは友人の営む車の板金塗装屋に転職をした。 この転職がこの後の林氏の人生の大きなターニングとなる出会いを生むことになる。
林氏の人生における最大のターニングポイントはジェットスキーとの出会いだという。 友人の板金塗装屋に勤めていたある日、たまたま見たYouTubeで日本人がジェットスキーの世界大会で優勝していて、それに大きな衝撃と感動を受けた。 「俺でも出来る!」と思い直ぐに始めたという。 そこから本気で取り組んだ林氏はまさにジェットスキーの如くメキメキと上達し、国内大会でアマチュア1位となり、その後プロに上がり世界を目指し始めたという。 当時、世界で2人しかできなかったという空中で2回まわる大技も決め、周りからも『ヒッキーなら行けるんちゃう! 』と言われその気になり、『よし! やってみるか!』みたいなノリだったと笑う林氏。 その後、林氏は一年近く英語の勉強をし、満を持してアメリカでの競技に参戦。 本場アメリカに渡り、林氏は現地で色々な意味で大きな刺激と気付きを得たという。 現地で出会った人たちは「人生をいかに楽しみ、自分のやりたいことをやるか」という思考で老若男女、みな生き生きとしていた。 「自分も日本に帰ったらやりたいことをやろう!!」と思ったという林氏。 アメリカからの帰りの飛行機の中で “溶接を生業とする独立”を決意し、開業に向けて動き始める。
その後、独立し「ヒッキー溶接」を立ち上げた林氏。 立ち上げ当初は製缶の仕事が80~90%で、合間に出張でマフラー溶接をやる、というような内容でのスタートだった。 現在はワンオフマフラー製作が70%、製缶が30%となっており、月1~2台のワンオフマフラー製作を行っている。 最近では林氏の仕事への思いや姿勢、確かな技術が伝わり他県からのもワンオフマフラー製作の依頼も多くなっている。 また、今後はマフラー溶接をやりつつ、配管溶接もやっていきたいという。 まだやったことがないこと、やりたいと思ったことにどんどん挑戦していきたいと意欲的に語る林氏。 それが「良い職人」になる秘訣だという。 そして、お客様の喜んだ顔が見れること、綺麗な溶接ができたときの自己満足感など、日々やりがいを感じながら仕事に向き合っているという林氏。 仕事は“やりがい”ばかりだよ、と嬉しそうに笑った。
林氏自身もまだまだ若いが、これから溶接を始めようと思っている後輩に向けてひとこと、お願いしたところ、即座に「溶接は楽しい」ということを伝えたいと言った。 また自身が主にやっているTIG溶接をもっと広められたら、またその為に何か協力できれば・・・と溶接の普及と次の世代へ技術継承の大切さを語った。 TIG溶接はガスが必要なうえにアークや半自動に比べると溶接自体が難しいが、だからこそ作った時の達成感や綺麗に溶接出来たときの満足感は別格だという。 溶接技術を磨くことはもちろん大切だがそれより何よりも、自分自身が楽しみながら探求し挑戦し続けることが「良い溶接屋」の条件だと林氏は言った。 もっと上手くなりたいという向上心や、もっと知りたいという探求心、そういった欲が持ちチャレンジし続けることも大切だと。
溶接作業って金属と会話しながらやっている感じがする・・・という林氏。 「これでどう?」って聞くと色で反応してくれて「なんや、嫌がってるやん!」とか、ピカピカだったら「めっちゃ喜んでるやん!」って感じで対話しているそう。 普段、一人で作業しているので話し相手は金属しかいない、と笑って話す林氏。 サッカーボールを蹴るかのように中学生の頃から溶接をやってきた林氏からは溶接が大好きで、溶接を本当に楽しんでいる様子が話の隅々から伝わってきた。
尊敬する人はいますか?・・・・との問いに「イチローさん」と返ってきた。 あの方の黙々さは凄すぎて、また絶対自分を甘やかさない姿、そして物を大事にする姿勢を尊敬しているという。 「道具を大事にしていればいずれ必ず力になってくれる」と言っていたイチローさんの言葉を大切にし、実行していると言う。 そのひとつとして常にピカピカにしているというハンマーを見せてくれた。
15歳から現在まで、溶接や金属の魅力に取り憑かれているという林氏は、これから先もやりがいと自信を持って様々なことにチャレンジし続けていくことだろう。 「人生をいかに楽しみ、自分のやりたいことをやる」ために・・・・・。 溶接・金属加工の仕事に携わり20年という林氏の益々の活躍が楽しみである。
「何事もチャレンジ」
~ とりあえずやってみる! やってみなきゃ分からない!! ~