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GRA王国
GRA王国 国王 / 金属彫刻家 榛名山の麓にある群馬県榛東村にアトリエを構え、絵本の中の物語の世界のようなアート作品を制作し国内外の美術館、ギャラリー で発表。 目を引くとても独創的なオブジェや公設のモニュメントなどを多数手掛ける他、繊細に作られたインテリアやエクステリア、小物など様々な作品を手掛けている。 また、グラ王国という「アーティストによるアーティストの為の国」をつくり、自らが国王となり理想と文化を実践するために日々、任務についている。
アトリエの鉄の扉を入るとそこにはまさに「アートの国」に入り込んだような空間が広がっている
茂木氏が金属造形の世界を志すキッカケとなったのは、まだ金属という素材のことも技法のことも何も知らない18歳の頃。 家の前に落ちていた鉄屑との出会いからだったという。 そのころ、自宅の庭の一角を地域のごみ収集場所として提供することになった。 そしてそこに出されたごみの中には不法投棄的なものでいつまでも回収されないものがあり、それをよく父親と一緒に片付けていたという。 その中にコロコロと転がるパーツだったり、見たことのない部品があり、それをくっつけたらおもしろいんじゃないか!と思ったのが今の茂木氏のはじまりとなった。 その頃のあのドキドキ・ワクワクとした”ときめき”は今も忘れておらず、ゆえに未だにアトリエの後ろのごみ置き場には大学生の頃から引越しをする度に捨てられずにずっと持って来ているという鉄屑たちが置かれている。 その鉄屑を眺めていると、本来はただ捨てられるだけのものだったはずの鉄屑が茂木さんのアーティストとしてのその後の人生に繋がっていることを感じ、人それぞれにとっての人生のキッカケとなる鉄屑は色々なところに転がっているのかもしれないと感じた。 大切なことはその鉄屑を見る「人の目」と、感じる「人の心」なのだろう。
真剣な表情、少年のような笑顔、そのどちらも共存していてコロコロと表情がかわる茂木氏
そんな鉄屑をくっつけて何か作ろうと思い立ち接着剤を買いに行くが接着剤でつく訳もなく、そこで初めて金属は溶ければくっつくことを知りガスバーナーを使い始めたという茂木氏。 大学は普通の経済学部が決まっていたものの、すっかり金属の魅力にはまりそのころにはすでに”アートの道”に進むことを決めていたという。 とはいえ、溶接などは習う機会が全く無く、とりあえずまずは溶接機を買おうと思いアルバイトをして50万貯めた。 そして溶接機を買いはしたものの最初は「これっていったいどう使うの?」と、そんな感じだったと笑う茂木氏。 ただ、ド素人で何も習わずに全くの独学からのスタートだったからこそ、遠回りはしたけれどその分色々なものも自由な発想で作り表現出来るようになったのかな、と当時を振り返る。 また茂木氏は当時の自身の制作を、技術教育うんぬんの前に「作りたい!」というカタチが明確にあって、それを作るために「さぁ、どうする!」って、そこからだったと話す。そしてそんな茂木氏に魅せられた支援者がいて、そのおかげで気づいたら30年も続けられていたと語った。 茂木氏の歩みには建設現場や鉄工所とは真逆の溶接や金属加工の世界があり、そこには「作りたい!」からはじまる唯一無二の茂木ワールドが広がっていると感じた。
チッタスロー国際連盟のシンボルであるカタツムリをモチーフにしたシンボルモニュメントを制作。青空と緑の中、畜産試験場交差点に設置されている
作品に植物やグリーンなどとの関りがあるものが多いように思えたのでその理由を尋ねてみたところ「元々、自然学者になりたかった。」という回答がかえってきた。 子供のころから丸でも三角でも四角でもない形が異常に好きで、先生に聞いても何の形か分からないというような物、自然に出来た打算の無い曲線がとにかく好きだったという。 なので、知らないうちに自分が作る曲線が自然にまん丸ではなく楕円を画いていることはすごく嬉しいという茂木氏。 それは好きだったからかもしれないし、知らないうちに見ている膨大なものが自分の中のものとして出た時に何か自然の模倣のハイブリッドみたいになって表れているのかもしれない、と少年のような瞳で話してくれた。 そんな茂木氏をみて、自然学者に憧れた少年は「自然鉄楽者」になったのだと確信した。
古いガラス工場を整備したFactory
茂木氏のプロフィールには「GRA王国」の国王/金属彫刻家とある。 この「GRA王国」の命名の由来や思いを茂木氏に聞いてみた。 まず元になっているのは ”グランキッチュ”という造語で、これはグロテスク(ラテン語)&キッチュ(ドイツ語)が組み合わさったものだという。 そしてそのグロテスクは、もともとは「グロッタ=洞窟」の意味で、さらにさかのぼると洞窟の中の古代人の壁画の一枚の画のことを指していたんだそう。 “グロテスク”はその壁画が奇妙で不思議で変わっているいう意味だったのが 気付いたら”気持ち悪い””怖いもの”という意味の今のグロテスクになったのだそう。 そのことをたまたま知った時に「グランキッチュ」という言葉を使いたい!! と思ったという。 その流れのなかで「グランキッチュ」という名前でやっていたが、「グランキッチュ」ではなかなか伝わりづらかったので、「グラ」をとって2006年に「GRA王国」に改名したのだという。 この改名の際にあえて王国と名付けたのは理由がある。 様々な出来事がありアートや文化を軽視する行政への憤りがあった中、それに対して文句を言ったり作品で主張するだけでは嫌だったという。 だから、たった一人の裸の王様でもいいから自分で国を作り、その王様になって「GRA王国」を実行していこう!と思ったという茂木氏。 ただ、国王だからといって威張りたいわけではなかった。 「GRA王国」、これはそういう気持ちでやっているんだ! 、やって行くんだ! という茂木氏の決意と覚悟、そして信念であり、その責任を持って活動する自分の国なのだという決意表明だったのだ。
金属って石やガラスや木と比べたら素材の可能性ってもの凄くあるよね!と語る茂木氏。金属は叩いて伸ばせるし、全部溶かせば流せるし、溶接でくっ付ければ色んな形にできる、石とか他の素材じゃなかなかできないことができるのが金属の魅力だと言う。 また、錆については日本ではこれまで錆びることを劣化と捉える人も多く、経年変化により物の価値が無くなっていくというマイナスのイメージが強いように思うという茂木氏。でも鉄の時間と人間の時間はそれぞれ違うけれど、それぞれが必ず老いてくる。 そうであるなら、老いないようにするのではなく、どう老いるのかに目を向けることが大切ではないか、鉄は作った瞬間から酸化が始まって全然現状維持は出来ないが、だからこそ計算して作ったのではない産物になる訳で、それは人間も同じではないか、と。 鉄と鉄のみならず人と人にも繋がる話にはとても考えさせられるものがあった。
1年以上費やして完成したという大作「糸の記憶」。 奇跡的に残っていた古い撚糸機械との出会いから絹産業遺産を残す為のGRA王国のMetal-Silkプロジェクト
日本ではアートみたいなものは社会の横槍が入ったり、おかしいぐらいにやり玉に挙げられることがあるという。 茂木氏も何度となくそんな経験をしたが、生活必需品じゃないが故の偏見なのか税金が絡んだり好き嫌いが分かれる物はその対象になり易いと憤りを語る茂木氏。 対照的にコロナ禍でドイツでは世界で一番先に「アーティストを全面支援します」と意思表明したことが象徴的で、ヨーロッパをはじめとした海外での文化の重要性と、日本での文化に対する意識の差を強く感じたという。 それは子供がアートに接する環境の違いも大きく、ヨーロッパなどでは子供のころから当たり前のようにアートに触れ、アートが暮らしや歴史に必要不可欠なものとして敬意や感謝をもって扱われているところも大きい。 世界でも美術館に行ったり、アートをコレクションするという人の数は、悲しいかな先進国の中で断トツ日本が最下位だという。 そんな話を聞き、少し暗い気持ちになっていたら茂木氏が「花束もらって嬉しいなっていう気持ち。花束なんて無駄かもしれないし無くても良いかもしれないけど、世界中から花が無くなったらすごく寂しいですよね?アートも同じですよ。」と言った。 本当にその通りで、花もアートも「心の栄養」なのだと思い嬉しくなった。 茂木氏の話を聞いていて、アーティストが作品に込めている想いが伝わらずに外観やイメージだけで判断や評価がされていることの勿体無さや残念さを感じた。 作品は理屈ではない面もあるとは思うが、やはりそこに込められている想いを発信して伝えることの大切さを実感した。 何よりも観る側の我々もそのストーリーを知りたいはずだし、それを知ったうえで観る作品は何倍も何十倍も心に響くはずたから。
今回、群馬県の県庁所在地である前橋市にある地元の新聞社「上毛新聞TR」に立ち寄り、一階に収蔵設置されている「ジャックの森オーケストラ」という作品を観させていただいた。 12体の奏者の楽しそうな動きが愛おしくリアルな絵本の世界に入ったかのような錯覚に陥り、今にも奏でる音楽が聴こえてきそうだった。 茂木氏の作品にはいつまでもその場にいたいと思わせる唯一無二の世界感がある。 この感覚こそがアートの魅力であり、心の贅沢だと感じた。
子供のころに抱いた「つくりたい!」という思いを原動力に、自由な発想、伸びやかな造形で鉄に命を吹き込む。 それはGRA王国の国王になった今も、これからもきっと変わらない。
ソニックシティで行われていた日本フィルハーモニー交響楽団の講演会パンフレット用に制作された。